第五巻リリースにあたって
- kotoumishirabe

- 2021年3月26日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年1月30日
お待たせしました。ようやく第五巻が出ました。
四巻のリリースから、じつに六週を経過してしまいました。
これで『しじまの彼方から』は、完結です。
ぜひ、お読みくださると嬉しいです。とりあえずは、Apple Booksのストアで購入できますが、kindle版も一両日中には購入できるようにしたいと考えています。
先日、福島で活躍されている方と電話で話し、いまだに危険な状態はつづいているという話をうかがい、なにも解決されていないのだという認識を新たにしました。
●blog『しじまの時間』でも取り上げました。「震災から十年たって」
どんな問題にもかならずそれと取り組むことで、学ぶことのできるテーマがあるはずです。
学び終えることがないかぎり、問題はますます大きなアラームを鳴らして、追いかけてきます。
「気づけよ、目を覚ませよ」と。
奇しくも、福島原発の構内の排水路で雨水の放射性物質濃度が上がっていることを報せる警報が作動し、
調査した結果、毎時13ミリシーベルトのベータ線を出すゲル状の塊(直径50センチ程)が見つかった
と、今月に入って東電による発表がなされたばかりです。これは事故後はじめてのことであるとのこと。
チェルノブイリ原発事故のあとにさっそく放射能漏れを防ぐために石棺工事をおこなったウクライナ政府。
これにたいし、日本の政府はいまだに何の対策も立てていません。
事故のあったフクイチ(福島第一原発)からは、毎時一千万ベクレルもの放射能が漏れつづけている。
これは、日本に暮らすわたしたちにとって重い事実であるはずです。
なのに、ほとんど注意や関心が向けられずに、十年が過ぎ、今回また廃棄物を詰めたコンテナ移動の際に重大な事故が起きたらしいということが発覚して、やっとマスメディアに取り上げられる始末です。またしばらくすれば、忘れられることでしょう。
どうして、こういうことになっているのか?
それは、わたしたちの意識のありようが、問われる問題ではないでいしょうか。
ウクライナの法令では、55.5万ベクレル/㎡以上が、移住の義務、18.5万ベクレル/㎡以上が、移住の権利を定めています。参考資料は、こちらをクリック。
日本の場合は、というと、いずれもなし。年間基準値も20msvでも長期的に居住することに差支えはないかのような印象をあたえる情報を流しています。この差は、なんでしょう。
どんなに目をつぶり、注意を逸らそうとしても、宿題は先延ばしにされるだけです。
いつの日にかツケが回ってくることになるのは当然の理です。
ルドルフ・シュタイナー(1861~1925)が警告していたアーリマンの画策。
人類は残念ながら、完全に彼の手に落ちています。
なぜなら、目に見える物質世界の対象物の背後にある生命の世界、つまり霊的、魂的なものを人類の意識から隠し、人々が唯物論の錯覚に陥らせようという狙いどおり、成功しているかに見えるからです。
わたしは、原発や放射能の問題というのは、外的なアプローチからでは、解決しないと見ています。
人間一人ひとりが「中から変わる」ことによってのみ、本質的な学びを得て、解決する。そう信じる人間の一人です。
誤解を恐れずに言うと、この作品を七年以上もかけて書いたのは、そのためであるといっても過言ではありません。
この作品は、原発問題にかぎらず、地球社会におけるあらゆる問題が、人間意識の拡大によって、肉体や物質の世界の限界を突破して、さらに波動の細やかなレベルの体(エーテル体とかアストラル体とかメンタル体)、最終的にはそれぞれの自己意識のレベルにおいて受けとめられる日を夢見て描かれました。
その意味では、エンタテイメント小説よりも、ずっとワクワクする小説であるはずです。
なぜなら、魂が自己の本来の目的を知り、それを果たすことこそ幸せであることを思い出させるからです。
われわれの魂の本当の喜びとは、快楽を追求し、快楽をあたえる対象を漁ることではありません。
言い換えれば、命の本源たる霊界のほうに向くべき魂が、そのことをすっかり忘れて、
感覚界、物質界、肉体界のほうに注意を奪われている状態から、
もう一度、故郷を思い出し、帰郷を果たすことにより、真の力を取り戻す喜びを享受することでもあるのです。




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