情報よりも大切なのは
- kotoumishirabe

- 2021年9月13日
- 読了時間: 7分
更新日:2024年5月11日
窓をあけておくとひんやりとした夜風がはいってきて気持ちのよい夜を迎えています。昨日くらいから、どこからともなくただよってくる金木犀の香りに秋の気配を感じています。
コロナ禍が長くつづいていることによる影響を受けてわたしたちそれぞれに苦労があることかと思います。今だからこそ自分の心の持ち方が大切ですね。
ところで、横須賀港につい先日、イギリスの空母クイーンエリザベスが入港し、数日間の碇泊していました。地域的にも近く、少なからず関心をもっていたところ、我が家のポストに毎週届けてくださっている近所にお住まいの方の発行する『日曜ジジ通信』No.514にこの話題が取り上げられていました。
この方はしょっちゅうスケッチに行っては、こちらの通信に挿絵(淡彩画)を掲載し、なじみのある県内各地の場所が描かれてあることが多いので毎回楽しみにしています。それがこの度、またなつかしい風景を目にすることができました。
というのも、絵に描かれた場所とおなじく横須賀の丘陵地帯のつづきを訪れたおりに見た、これと似た眺めが脳裏に焼きついているからです。
じつは、まもなくオンデマンドで刊行予定の改訂版(ぺーパーバック本)の小説『しじまの彼方から』下巻でも、丘の上から軍港を見下ろすシーンがあり、この眺めが登場してきます。
話は元に戻りまして、『日曜ジジ通信』の挿画の下の文には、この空母がソマリア沖アデン湾で海上自衛隊やオランダ海軍と共同訓練をおこなったと書かれてあります。さらに、先月には沖縄南方で海自、陸自、空自が参加し、他にオランダやオーストラリアの艦船が参加しての『大規模地球規模演習21』(米軍主催)でおこなわれたという背景が報じられるとともに、「海洋進出を続ける中国に対抗するものであることは明らか。」と、ありました。
これを読み、たしかに中国軍を牽制する動きであるのは間違いないでしょうが、それにしてもわざわざ「地球規模」にまで広げて軍事的行動を思い描きたい人たちがいるのだなと思いました。今月は自民党の総裁選もおこなわれる予定です。何にしても結局は、人間のあらゆる思惑があるだけです。そして、なかにはわたしたち通常人の想像もおよばぬ画策をしている人たちもこの同じ地球上には存在しており、大きな影響力をもっているからこそ厄介な問題となってくるわけです。コロナ政策などは、その典型だと思います。いったい誰がこんな考え方を推し進めているんだろう。もっと話し合いの機会を設け、国民皆がよく考え、議論し、検討した結果を反映させてゆくべきではないのか、と思ってしまいます。つまらないニュースに国民の注意が逸らされている間に、変な法案が勝手に通されてしまう手法が、近年では常套手段のように使われていませんか。マスメディアがいいように利用されています。
ここで大事なことは、地上で起きている現象はどれも例外なく、形に現れる以前の《想いの世界》で起きていることの反映にすぎないのだということをまず知ることです。
権力機構、法的正当性、経済力、圧倒的な軍事力など、個人の力ではどうにも太刀打ちできない強大な力に裏打ちされているように見える動かしがたい現実も、あるいは権威だとか、常識だとか、なかなか侮れない厄介な相手でも、《想いの世界》が先に実在し、あたかも幻燈機でスクリーンに映写されてくるように物質界に現れてきているだけであるというのが本当なのです。
見えている現実がすべてではないことに思いを馳せるなら、人間社会よりもはるかに広い宇宙から地球の成り行きを見守っている存在があり、また、決して免れることのできない、人智を超えた大いなる宇宙の法則の下にわたしたちの生活も営まれていることが思い出されてきます。
したがって、今後どのようなことが現れてくるのかということについては、この世界の現実がつねに変動してやまない人間の《想いの世界》のエネルギーを反映して流動的であるがゆえに、わたしたち一人ひとりの思い方しだいである、というのが真実であるとわたしは思います。そして、《想いの世界》は、世界を〝こうしたい〟〝こういう方向へ持って行きたい〟という意図があればあるほど、それが強力な欲望エレメンタルとして力を発揮して、人々の集合意識、集合無意識を誘導しますが、たいていその原型は、不安とか恐怖などの肉体上の危険にたいする自己保存の想い、サバイバルにまつわる恐怖の心情から成り、メディアをつうじて流される情報は、これらの感情に訴え、増大増幅させるのに一役買っているという構図になっています。
ですから、自分の放つ思考や想念、感情といったエレメンタルが、自らものを考え、判断した上での意識的なものであれば悔いもなければ、恐れもなしとなれるんですが、マインドコントロールの末に、望まぬ現実が目の前に現前してくる、というのでは、マズイのではないですか、という話です。
意識的であると無意識的であるとにかかわらず、だれもが現実との接点をもっています。梃子の原理でいえば支点にあたるでしょう。自分の望みどおりに自分の体重よりも重い石でもゴロンと動かすためには、どうしたらいいか。この場合の作用点こそは、めいめいの人が自覚的に発する想念であり、よく考え抜かれたクリアな思考であり、ネガティブな感情を浄化したあとのピュアーで晴朗な感情です。そして、それらを選ぶ力点には、意識の働きがある、ということだと思います。この意識はもちろん肉体ではなく、アストラル体、エーテル体など精妙なボディを貫いてまっすぐに宇宙神と直結する高次の意識です。そうした選択ができるまでに自我を発達させ、成熟させ、霊化させていった果てに、何者にも侵されず、コントロールされない真の自由が獲得されてきます。
人間はそこまで行けるのだ、と思うことです。複雑すぎて手に負えないかのように見える現実にたいして、一人ひとりが変化をもたらせるだけの潜在力がある。そのために何も特別な知識を得たり、特別な修行をしなくてはならないということではありません。
生まれてくる時に神様からいただいたものすべてを活かせば、足りないものなど何一つありません。誰かや何かに頼り、外部の情報に依存する傾向があるかぎりは、神智の源泉にも内部の宝物にもたどり着けないことでしょう。
これからどうなって行くのか、と書きましたが、こちらの意識しだいだとわたしは思っています。人間という存在は、すべての物質性と物質法則を超えて自由になれる意識の力というものを授かっている存在であるからです。
たとえば、これから食糧危機が来るといわれています。では肉体的な制約下にあって不幸になるのか、といったら、そうとはかぎりません。ご承知のとおり、人間は食べなくても生きられるということを実証している人々がこの惑星にはすでにいます。
また、三次元の物質界に暮らすわたしたちにたいし、異なる次元、高次の世界からの干渉や介入や助力の手がさしのべられる時は、「奇跡」と呼ばれることが起きてきます。「恩寵」もありえます。つまり、宇宙は多層構造であり、ここも多次元宇宙の一つにすぎないという真理を受け容れ、謙虚な感情とともに畏敬の感情をもてるような心境にまでなった時は、そのような頭脳を超え、知識を超えた現実が浸透してきます。
そして、両者の世界をつなぐまさにトンネルポータルが「意識の扉」です。
脚が弱って車椅子生活になり、認知症で頭の働きが鈍り、あるいは幻覚や妄想の世界に迷い込んで錯乱状態に陥ることがあったとしても、なお神様とつながっている自己超意識とぴったりと一つになっていさえすれば、また本心の座に戻れる。それが人間という意識存在であり、霊的魂的な永遠の存在なのです。
わたし自身、今朝また深い体験をくぐることによって、このことをますます確信できるようになりました。今は感謝と畏敬の感情に満ち満ちています。




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