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こと玉小説術  第三回 いかにして想像の世界を創るか? モの言灵

更新日:2024年4月12日




小説を書くという行為は目に見えている外界とは別に新たに想像世界を生みだすことです。では、そのイメージはどこから生まれてくるかというと、脳からではありません。脳は物質にすぎず、しかも充電なしには使えないバッテリーのようなものだといっている人もいます。


 わたしたち人間は肉体からはみ出した領域にエーテル・ダブル(幽複体)をもち、ここに日々の糧であるエーテル(マインド)・バイタリティーという一定の周波数をもつマインドを太陽、食べ物、休息などをつうじ受け取っています。マインドはあらゆる生命の担い手として存在するものすべてを形成し、振動数の違いにより、超素材、素材、固体と形態を変えます。さらにマインドはエーテル・ダブルに蓄積され、機能別に刷りこみエーテル、感覚エーテル、運動エーテルとして使われます。


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 とりわけイメージを形成するときは、刷りこみエーテルを使いますが、じつは誕生の瞬間より、だれもが肉体より精妙なサイキカル体の感情の波動に影響を受け始めます。また思考をつかさどるのはノエティカル体というさらに精妙な波動の体でありますが、多かれ少なかれ感情の色づけのなされた思考であるサイコノエティカル・イメージが生じてくるのは刷り込みエーテルを使って、ということになります。



 生まれてから今日に至るまで、外界の物を見ては注意が引きつけられ、様々な興味や感情が呼び起こされ、そこから形成されたサイコノエティカル・イメージは、エレメンタル(色も形もある生きた想念形体として知性や意志をもち生きもののように独り歩きし、存続のため人からエネルギーを奪ったりもすれば、逆にそれが利己的な欲望にたいし主導権を握れていれば、人にあたえ、人を助けるエレメンタルにもなりうる。「祈り」はその最たるものであるとなり、潜在意識に溜めこまれてゆきます。



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 わたしはこうした知識をダスカロス(スティリアノス・アテシュリス博士)という方の伝える真理として学び、日常の生活の中で活かし実践しています。大事なことは、彼が「人は潜在意識的に生きている」と述べていることです。どういうことかというと、通常の人間は潜在意識から意識の表面に浮かび上がってくるエレメンタルに捕まり、反応し、翻弄されながら生きているという意味です。


 さあ、そうしますと、小説を書くということは、よきエレメンタル(感情や欲望に引廻されるのではない、理性がそれらを主導するタイプの想念形体)を自在に駆使して、想像の世界を構築してゆくという積極的な行為です。決して、受け身的にボンヤリとした記憶や思い出の世界に浸ったり、個人的なオタクの世界に遊び、恐れや不安を投影した世界を描くことではありません。




 そこで、必要なのが一定時間、潜在意識から湧いてくるどんな感情にも思考にも影響されずに意識を固定する能力です。これを得るには、トレーニングが必要です。まず、凝視する対象を何かひとつ選びます。それに向って何も考えずにただ凝視します。対象は何でもいいのですが、わたしが毎日のエクササイズとして自分に課している集中のトレーニングで使用しているのはレモンです。何も考えずにひたすらレモンの色と形態を見つめることに意識を集中し、固定するのです。これをつづけてゆくと色んな気づきがあります。今回、お話したのは、想像の世界を自在に創造するには、まだ意識をフォーカスし、固定する練習が必要であるということです。



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 これを教えていること玉の知恵に「モ」があります。この言灵にはいくつかの法則があり、そのひとつが、「舫(もや)う」です。原義は舟を岸につなぐ。流されないように- 和歌の用語すなわち歌語で、「もう(思う)」があります。これこそまさに「モ」の言灵で、「舫う」に相当します。つまり思うということは、「何かを思う」わけなので、舟に「もやい」をつなぎ、岸と舟とをしっかりと結びつけるように、何かの対象(岸)と意識(舟)を綱でつなぐことで、「思いつづけることができる」。小説を書く、すなわち想像の世界を創るのでも、ある情景や人物や行為や心理や会話を対象として、意識の綱を使って舫うように、もっぱらそのことを思いつづける。そうすると、どうなるのか。それは次回に譲ることにしましょう。



12th Apr, 2024  言海 調


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