こと玉小説術 第二回 手書きの効用 ソの言灵
- kotoumishirabe

- 2024年4月8日
- 読了時間: 3分
文章作成のためにパソコンの画面を見ながらキーボードを叩く場合と、今こうして5㍉四方の方眼紙にHBの鉛筆で一字一字、考え考え枡目(ますめ)を埋めてゆく場合とでは、明らかに異なる体験をしています。ここまでの文字列が33W×2L+30W=96字。時間にして8分かかっています。テキストデータ入力の能率からしたらエラく非能率的と普通は見なされるでしょうが、やってみればわかるように実はとても豊かな心持ちとなれるんです。キーボードで入力するのと鉛筆で字を書くのとではまったく異なる体験をしている。つまりAとBの2つの場合があり、両者は全然異なるという意味内容の情報さえ伝わればよいということではないのか、と考える人がいると思いますが、情報ではないのですね、ここでいう文章というのは。
《小説術》というテーマで書いていますが、本当は小説に限らず、文章というのは書く人の経験と思索という湧水が個性というフィルター(岩)を通して石清水(いわしみず)の如く滲みだしてくるものです。そうでなくては味わい深い生成物が生まれてこない。なので単なる情報に取って替えられる代物とは本質的に異なるということです。では何が異なるのか。方眼紙の一マスは空白です。それは紙に反映された心のスペースなんです。つまり、般若心経で云うところの空(くう)です。この一マスに一字が入る。でもその前にあらかじめ伝達内容が一塊の概念として来ているんじゃなく、あくまでも空。このゼロポイント、形を成す以前の広大無辺の宇宙-心の内なるスペースである小宇宙-からやってくるわけですね。知識や情報のカタマリではない。固形物よりも細かく自由度の高い精妙な波動です。

では、これはどこで受信するかといったら、ハートのスペースです。頭じゃなく。頭のガラクタはスペースクリアリングしておく必要があります。それでこそ過去からも未来からも干渉されない〝今ここ〟“Now and Here”の次元で起っている事と出会えますから。ハートを開放すると同時に無限の創造性の源泉である彼方から降りてくる波動を受ける場として方眼紙の空白の枡目が用意されてあるのです。時刻とともに回(めぐ)ってゆく星の軌跡をシャッター開放で撮影するように、枡目も心のスペースも開放にしておく理由がここにあります。昔の作家が原稿用紙に万年筆を使って一字一字措(お)いて枡目を埋めていたことを思うと、職業ライターとしてワープロ機能に頼って仕事してきた自分が恐ろしくなります。
ところで、般若心経のくだりで空と書いたのは、kuuばかりかsoraでもあり、ソの言灵が「形無き也」の法則をもつことと関係してきます。ソの言灵は、昇水の灵のサ行でも唯一水火の灵で、火が水に入って火自身は不動、水を動かしてソセスシサと上に昇らせる作用を為すために、形ある水にたいしここでは無形ということになり、しかも「底也」と「背(うしろ)也」「所也」の法則が、全部で11法則になるソの言灵の中には含まれるのもうなずけます。父の一滴が母の体に宿り、火と水が胎内でくみ合って凝り、そこから新しい命が生まれてくる所という意がソの言灵にはあります。一方、形無き也という法則から、ウソ(嘘)すなわち形(中身)の無いこと、内実のともなわないことを語ること、というのも出てくるわけです。「筆が走る」とか「口を滑らす」と昔からいいますが、筆禍や舌禍が事件にまで発展してしまい、マガゴト(禍事)とならぬためにも魔に入らせない結界を張ったスペース作りが重要となってきます。これについては、わたしが毎日実践しているレモンを用いた集中訓練があり、次回以降紹介してまいります。
8th Apr, 2024 言海 調



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