作中人物に輝きと深みをあたえるもの
- kotoumishirabe

- 2021年5月17日
- 読了時間: 3分
更新日:2024年1月30日
今夜はまず「作中人物」の設定をどう考えるか、あるいは「登場人物」を魅力的に輝かせるとはどういうことかについて考えてゆきます。
いわゆる指南書には、主人公をはじめ小説に登場する人物の性格として、たとえば邪悪すぎたり残酷すぎたりする極悪人はいけないとか、逆に特徴のない人物や不決断で自己否定が強く消極的すぎる人間はだめだ、などと禁忌事項が羅列されているものを見かけます。
なぜなんだろうと考えてみると、リアリティーに欠けるからとか、勧善懲悪的なステレオタイプでは平板すぎてつまらないとかの理由が見えてきて、そんなことではとても読者がつかないと見て取るからなのでしょう。
つまり、ベストセラーに仕立てるには何に注意するべきか、といった観点が前面に出てくる結果、こうしたアドバイスになってくると思われます。
ここで疑問にぶつかります。果たして書くものがベストセラーになる必要があるのだろうかと。とはいえ、せっかく打ち上げた想いの気球がどこへもたどり着かず、だれにも受け取られず、喜ばれずに宙を漂いつづけることなど望むひとはいないでしょう。
そうすると、二つの条件が浮かび上がってきます。まず、小説を書くひとが、本当に現したい世界。これをどれだけ思いっきり自由に描くことができるか。ある意味でこの自由というのは、結果を考慮することなく書ける自由ともいえます。
ところがもう一つ別の条件として、書かれた小説を手に取ってくれたひとが、最後まで作品を読んでくれたうえで面白いと感じられるだけでなく、深い印象や感動とともに作者が現そうとした世界を価値あるものとして共有できるかどうかということがあります。
こういう言い方をすると、すでにテーマにまで話がおよんでしまいますが、作中人物にリアリティーが感じられるのか、登場人物がそれぞれに精彩を放ち、それぞれの魅力が読むひとの想像力を刺戟できるのかといったとき、テーマと不可分には語れぬ話だと考えます。
小説書きの原動力がどこからやってくるか。というと、初めに切実なテーマありき。そこから来るものと、わたしは信じています。
テーマこそは、作品が変わっても変わらないもの、すべての作品の根底に流れるミッションすなわち天命につうじるものです。なぜでしょう。
このミッションというのは、生まれる前に魂が決めてきたこと、誓ってきたことだからです。であれば、あちらですでに具現化されている理想を地上で形にするのに必要な作中人物を受肉化させ、いのちの息吹を吹きむのは必然ということになります。
以上の理由から、自分の内なる欲求に忠実に描いてゆけば、おのずといきいきとした作中人物が浮き彫りになってくるのは当然ともいえます。
作品の根底に現実社会への諦念があると、色調はどうしてもダークなものとならざるをえません。
いかにして理想主義的なインスピレーションとイメージを地上に降ろすか。
入魂のビジョンなりイメージなりを、いわゆる「現実主義」を自認する人たちのもつそれら以上にリアルなものと確信する書き手の創る世界には、明るいトーンのエレメンタル(想念の生きもの)が満ちてくる、というのは、これはわたしの発見した法則とも呼ぶべきものです。
こちらの三次元の物質世界だったら物理的制約のために体験しにくいことでも、体験でき、無理と思われる夢でもかなってしまう。想念の力、言霊の力でそれが可能になるのだという強い信念があれば、向こうの世界にすでにある理想主義的な原像を地上の現世(写し世)に降ろしてこられるのです。
小説をとおして、読者の想いが解放され、心の奥底でくすぶっていたものも浄化される。すると、これまでとは異なる地平が見えてくる。それにしたがい、希望の感情が現れてきます。
(初出が4月15日の原稿を 5月17日に全面リライト)
17th May, 2021 言海 調




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